波乱万丈の猿生 第24回東京国際映画祭

 九条小夜子(以下九) 新年明けましておめでとうございます。本年も「小夜ミケのネタころがし」をよろしくお願いします。
 豊橋ミケ(以下猫) ……。
  ミケ、何かいいたそうね。
  もう1月10日にゃ。
  ミケったら何いってるの~。いくら遅れたからって新年の挨拶をしないわけにはいかないじゃない。
  当然みたいにいっているけど、だったらせめて7日までの間にやるべきだったにゃ。
 それに2012年最初のネタが去年の第24回東京国際映画祭って、いくらにゃんでもひどすぎるにゃ。
  いや、ウチも年末までにはやろうと思っていたのよ。年をまたごうなんて気はこれっぽっちもなかったの。でも27日に突然パソコンが壊れちゃったんだもん。しかたないよねー。
  小夜ちゃん、いいわけができてラッキーって顔してるけど、東京国際映画祭から2か月も経ってるにゃ。その間、何をしてたんだにゃ?
  うう……。
 気を取り直して本題に入ろーっ!
  小夜ちゃんがいっていい事じゃにゃーい!!


  早速だけど今回は外れだったねー。
  そんにゃいきなり!
  上から目線っていわれる事は百も承知だけど、それが偽らざるウチの感想。
  期待はしてたんだけどにゃあ。
  期待が大きすぎたのかなぁ~。
 一番最初に観たのは「ティラノサウルス」
  タイトルの由来が主人公の亡くにゃった奥さんを「ジュラシック・パーク」のティラノサウルスに例えた事だったとは……。
  正直、何でそんなタイトルにしたんだろ? あらすじには一切触れてないのにね。
  救いのにゃい話だったにゃあ。
  ピーター・ミュラン演じる主人公は常に怒りを抱えている中年男で些細な事ですぐにキレる。
  あぶにゃいおっさんだにゃ。
  冒頭、いきなりブチキレて飼い犬を蹴って死なせちゃうんだよね。で、冷静になって我に帰った時、凄く後悔する。ピーター・ミュランがこの凶暴性と悔恨の両方を見事に体現してるんだよね。彼の演技が観られたのは幸運だった。ただそれをもって東京国際映画祭に行った甲斐があったかというと……。
  イマイチだったにゃ。
  ピーター・ミュラン演じる中年男はひょんな事から小さな洋服店を営む中年女性と友達になる。
  その中年女性の家庭も円満じゃにゃかった。
  何故破綻したか、その理由は明らかにされてないんだけど、旦那さんが求める一方で、妻である中年女性は応じようとしないなど夫婦関係は冷え切っていた。
  旦那さんの初登場シーンは凄かったにゃあ。
  うん。奥さんが寝ている時に帰ってくるんだけど、声をかけても起きないからっていきなりおしっこをかけるんだもんなぁ。普通のおばさんだと思って観ていたところにあれだもん。びっくりしたよ。
  それでも寝たふりを続ける奥さんも凄いにゃ。
  ついに暴力をふるうようになって奥さんは家を出る。ピーター・ミュランが話をつけようと奥さんの家に行ったところ、旦那さんは自殺していた。
 慌てて奥さんの所に戻るんだけど、何も知らない奥さんが深く考えずに言った一言が同じ男として許せなかったんだね。彼女に何も説明せずに立ち去ってしまい、以後、二人が会うことはなかった。
  もっともピーター・ミュランがそう決めたわけじゃにゃいんだけどにゃ。
  うん。実はピーター・ミュランの向かいにはシングルマザーの母子が住んでいたんだよね。
  そこの子にだけはピーター・ミュランも不機嫌な顔を見せず、いいおじさんとしてふるまっていたにゃ。
  ある日、母親が付き合っている男の飼い犬がその子の顔に痕の残る大怪我をさせてしまう。例の奥さんと決別した後、ピーター・ミュランはそれまで鬱屈をぶつけるようにその犬を撲殺。警察に逮捕されちゃう。
 刑期を終えたミュランが戻ると奥さんはよそに移っていた。
 一応奥さん宛の手紙には反省した、更生したみたいな事を書いているんだけど、実のところピーター・ミュランは失うばかりで何も取り戻せていないんだよね。
  彼だけじゃにゃいにゃ。感情の行き違いから誰もが身近にゃ人やものを失ってるにゃ。
  感情に任せて軽率な事をしたばっかりに大切なものを失ってしまった。そんな悔恨に満ちた話なんだ。
 そんな映画のタイトルが「ティラノサウルス」って……。
  違うんじゃにゃいの? って思うけど、原題にゃんだよにゃ。


 男の子を地下室に監禁している小児性愛者を主人公にした「ミヒャエル」も期待外れだったにゃ。
  小児性愛者を怪物ではなく、社会に適応している一市民として描く演出は意欲的なんだけど、所々これ意味あるの? って首をかしげるシーンがあるんだよね。
 たとえば突然訪ねてきた会社の女性同僚を慌てて追い返すシーンがあるんだけど、それが元で逮捕につながるわけじゃないし、追い返された同僚はそれ以後出てこないんだよね。
  怒ってはいたけど、だからといって主人公に何かをするわけじゃにゃかったにゃ。
  子供から逆襲されたミヒャエルは怪我を負い、治療のために車で出かけたところを事故って死んじゃう。その後、遺品を整理していた遺族が地下室に気づいて入るところで映画は終り。
  男の子の安否は観客の想像に委ねる形ににゃったにゃ。
  この終り方もサスペンスならともかく「ミヒャエル」の終り方としてはどうかなって気がするんだよね。


 アメリカの教育者の苦悩というよりはあがきに近いものを描いた「デタッチメント」 。
  地味だけど見応えはあったにゃ。
 親は学校を見限っていて、教師は無力。教育の再生には親子関係どころか一個人と一個人の関係からやり直さにゃければにゃらにゃいってのがテーマにゃんだよにゃ。
  それを希望というにはあまりにも小さいんじゃないかな。実際、主演のエイドリアン・ブロディももう諦めてる感じだったし。


 箸にも棒にもかからないのが「飼育」と「アウトサイド・サタン」。
  「飼育」は大島渚の映画をカンボジアに舞台を移してリメイクした作品だにゃ。
 クメール・ルージュの走狗となった少年が独裁政権のカリカチュアになっていて、思想統制のおぞましさを感じさせるなどリメイクならではの工夫が見られるんだけど、大島渚版と比べると月とスッポン。
  映像もビデオ撮影で安っぽかったしにゃ。


  それでも「アウトサイド・サタン」に比べれば何をしているのかわかるだけマシだった。
  あたし達が日本人でヨーロッパの田舎の風俗とかに疎いせいか、映画だけでは舞台がどこかもわからにゃい。
  森に住んでいる得体のしれない男が旅の女と行きずりのセックスしたり、おかしくなっていた女の子をエッチで正気に戻したりする一方、恋人の父親をいきなり射殺するなど、彼が何を考えているかどころか何が起きているのかのもわからなかった。
 後でHPを見たら
「英仏海峡はずれのコート・ド・パール。小さな村のそばに広がる砂丘や湿地帯。そこに、ひっそりと暮らす謎めいた男がいる。男は狩りをし、祈り、火をおこす。この放浪者はどこからともなく現れ、村から悪霊を一息で追い出し、世界を悪魔の手から守るのだった。」って書いてあって、えーっ、そんな話だったの!? ってびっくりしたもん。
  悪霊にゃんてどこにいたのかにゃ?
  今なら主人公が性行為を通じて力を発揮するのはキリスト教によって排除された土着宗教が秘めていた性的要素を描いていたのかもしれないぐらいは考えられるけど、観ている時は何が何だかさっぱりで、わけがわからなかった。


  逆によかったのがアニメ映画の「TATSUMI」とドキュメンタリーの「プロジェクト・ニム」。
  「TATSUMI」の監督はエリック・クー。
  知らにゃいにゃあ。
  そう思うのも当然で、実はこれ、シンガポールが作ったアニメ映画で、声の出演以外では日本人はほとんどタッチしてないんだ。でも描かれているのは日本の漫画で大人向け作品というジャンルを切り開いた劇画家辰巳ヨシヒロの生涯なんだ。
 映画は手塚治虫の七年忌から始まる。黎明期の漫画家達が手塚治虫の影響を受けていた事は否定できない事実だけど、まさか自分の伝記の開幕を手塚リスペクトで始めるとは思ってもいなかったね。
  画面下に英語字幕が入るんだけど、「手塚先生」を「Mr.Teduka」と訳していたのには違和感があるにゃあ。
  そうだね。あれじゃあ“先生”にこめられた敬意が伝わらないんじゃないかって心配だな。
 辰巳自身の短編と交互に少年時代から現代の老境に至るまでを彼の劇画を忠実に再現したアニメで描いている。劇画の雰囲気を重視している事を考えても動きはぎこちなく、世にいう作画厨の好みには合わないかもね。
  最初の数分は止め絵が続くからてっきり「忍者武芸帳」みたいに原作漫画のコマを撮したものかと思っちゃったにゃ。
  辰巳が漫画を描くようになったのは兄の影響だった。兄自身は病気に伏せっており、漫画を描くどころか学校にも行けなかった。兄はその事で辰巳に嫉妬し、暴力をふるう事もあった。一度は辰巳が描いた漫画原稿を破った事もあり、その時はさすがの辰巳も漫画をやめようとまで考えた。この頃、辰巳は苦しい家計を助けるために雑誌の懸賞漫画に応募していた。
  もっともそれ以前から漫画雑誌に投稿はしていたにゃ。
  それが毎日新聞の記者の目に留まり、その縁で当時まだ大阪にいた、つまりまだ駆け出しの手塚治虫に会うことができたんだよね。それが少年期で最も輝かしいエピソードになっている。
  辰巳は手塚の家を「大きい」ってはしゃいでいたけど、あたしにはそうは見えにゃかったにゃ。
  うん。一軒家ではなかったけど、「お屋敷」というには抵抗がある。ただ戦後の貧しい時代ではあれでも豪邸だったのかもね。
  これが時代の違いってヤツかにゃあ。
  デビューした辰巳は同年代の漫画家達と大人向け漫画を作るグループ劇画工房を立ち上げる。従来の子供向け漫画と区別するために劇画という単語を作った経緯は描かれるけど、後に辰巳が劇画工房を離れる事には一切触れていない。
 実のところ、「TATSUMI」は伝記としては不完全なんだよね。何故かっていうと、多くの要素が投げっぱなしの状態で終わってるからなの。
 たとえば序盤で大きなウエイトを占めていたはずの家族なんだけど、辰巳がプロデビューして独り暮らしを始めるとほとんど出なくなっちゃう。
  兄がどうにゃったかは全く描かれにゃかったにゃ。
  劇画工房も立ち上げの話だけで、劇中では辰巳の他にどのようなメンバーがいたのかなどには一切触れられていないんだよね。
  「ゴルゴ13」のさいとうたかをもいたんだけど、映画には出てこにゃいにゃ。
  知っての通り、今、劇画という言葉は死語になっている。大人向け漫画が普及し、広く受け入れられた一方、劇画という言葉は廃れちゃっからなんだけど、その事についても全く触れていないんだよね。
 戦後の世相を映す鏡として辰巳の短編を挿入したために尺がなくなったって事情もあるんだとうけど、辰巳の伝記映画として観るよりは原作者の半生をつなぎにしたオムニバス映画として観た方がいいと思うな。
  事前に予習が必要かもにゃ。
  ウィキペディアに目を通すくらいで充分だと思うよ。
 アニメ化された短編は出版こそされているものの、どれも読んだことのないものばかりだった。
  そもそも辰巳ヨシヒロという名前自体東京国際映画祭が始まるまで知らにゃかったにゃ。
  それでも彼が描いた底辺の人達の悲哀は現代のウチらとそう変わるものではなない。ただ、ウチはそれをいい事とは思えないんだよね。
  庶民にとって戦後は周りを囲む小道具を変えただけだったのかもしれにゃいにゃあ。


  東京国際映画祭で一番だったのが「プロジェクト・ニム」
  チンパンジーの語学力、学習能力を探るために一匹のチンパンジーを産まれた直後に母親から引き離し、人間の家庭で育てるというプロジェクトの顛末を追ったドキュメンタリーだにゃ。
 実験の対象であるニムが産まれたのは1973年。ニムの母親は彼を引き離す際に抵抗したため、施設の責任者レモン教授に銃で麻酔を撃たれ、眠らされている間に引き離されたにゃ。
  人間なら別れのエピソードの一つもあるところなんだけど……。
  ニムは子沢山の一家に預けられ、人間と一緒に2歳まで暮らしたにゃ。
  ニムは女性達にはなついていたけど、一家の男性、特に父親にはなつかなかった。
  ニムが雄だって事を考えると意味深だにゃあ。
  一家の母親はニムをのびのびと育てたいと考え、実験の責任者であるテラス教授の語学学習には非協力的だった。
 そんな環境で研究が進むわけがない。テラス教授にしてみれば本末転倒もいいところ。
  ニムを預けたのは研究のためだもんにゃあ。
  業を煮やしたテラス教授は、元学長の屋敷を借り、そこにニムと教師達を住まわせた。
 チンパンジーは人間のように声を発することはできないけど、手話ならできるはずと踏んだテラス教授はニムに手話を教えた。
 ニムはどんどん単語を覚えていった。順調なように見えた実験だけど、ニムが成長するにつれ、トラブルが起きるようになる。
 映画やアニメでチンパンジーはコミカルな生き物ってイメージがあるし、ゴリラに比べたらっひょろっとした身体をしているけど、実は見た目よりも筋力が発達していて、人間の5~6倍もあるといわれているんだよね。そのうえ鋭い牙も持っているから、イメージとは真逆の危険な生き物なんだ。
 呆れたことに実験スタッフは何の安全策も用意していなかった。先にニムを扱っていた家族も含め、チンパンジーの事を何も知らず、犬や猫と同じ感覚で接していたのよ。
 先に二ムが父親にはなつかず、いうことをあまりきかなかったっていったよね? もし、本当に人間と同じつもりで育てるのなら、父親に対する態度を叱っていたはずだよね?
  確かにそうだにゃあ。
  ニムがチンパンジーではなくゴリラだったら最初に預かった家族ものびのび育てようなんてのん気なことはいわなかったと思うよ。。
  ニムってペットだったんだにゃあ。
  スタッフには獣医も飼育の専門家もいなかった。ニムが病気をしなかったのは不幸中の幸いといっていい。
 成長するにつれ、ニムはスタッフの手にあまるようになっていった。また、性衝動の発露も起き始めた。
 スタッフがニムに噛まれ、数ヵ月に及ぶ怪我を負うと、テラス教授は実験の中止を決断する。
 テラス教授自身はニムと接触することは稀で、たまに接触する時はたいていカメラマンを連れていた。
  外面のいいおっさんだにゃあ。
  スタッフと違い、テラス教授は学習の成果に否定的で、覚えた手話も欲求を一方的に伝えるだけで、会話とはほど遠いものととらえていた。
 実験は失敗と判断しテラス教授はニムの処分を決めた。
 ニムは屋敷からチンパンジーの保護施設に移された。屋敷とはうってかわって檻の中の生活に自由はなかった。
 その施設でチンパンジーの危険性が語られた時は気が気じゃなかったね。「男の凶暴性はどこからきたか」って本でチンパンジーの攻撃性は知っていたし、実際に施設ではチンパンジーが他のチンパンジーを池に落として溺死させた事件もあったんだ。
 生まれてすぐに親元から引き離されたニムには同族と接した経験がなく、人間以外とのコミュニケーション法を知らない。
  施設のチンパンジーは手話にゃんか知らにゃいだろうにゃあ……。
  他のチンパンジーと軋轢を起こす可能性があった。
  にゃああ……殺されちゃうかも……。
  施設のスタッフもその危険性は理解していたらしく、いきなり群の中に放り込むことはしなかった。
  ほっ。
  まずは大人しい雄と同居させ、徐々に慣らしていくことで群の中に溶け込ませていったのよ。
 やがてニムは雌とつがいになり、子供も産まれた。
  よかったにゃ~。
  そう思うのはまだ早いよ。ニムはこのまま一チンパンジーとして過ごせるわけじゃなかったんだ。
 保護施設は資金難から動物実験を行う研究所にチンパンジー達を売り払った。
 ニムは特例だったので、売り払われずにすんだけど、彼の家族達がどうなったかはわからない。
 研究所ではB型肝炎やエイズウイルスのワクチンの安全性をチンパンジーで調べていた。
  ニムの家族も……。
  だからわからないんだって。
 研究所の職員達はニムがいた施設から来たチンパンジーが手話を使うことに気づいた。
  それって……。
  ニムが広めたのよ。だからといって手話を使うチンパンジーを全て特例扱いにするわけにはいかない。
 保護施設でニムと親しくしていた職員のボブはニムを解放するために訴訟を起こした。この訴訟を担当した弁護士はニムが小さい頃、人間として育てられた事を理由にニムは人間だと主張した。
  強引だにゃあ。
  訴訟には負けたけど、裁判を通じてニムは有名になり、マスコミの後押しでニムは解放された。
  あ~、これでやっと静かに暮らせるにゃあ~。
  うん。静かといえば静かかもね。
  え? 何か含みがあるにゃ。
  ニムは動物愛護家が経営する牧場に引き取られた。この牧場は虐待を受けたペットや家畜を引き取る場所で、チンパンジーはニムが初めてだった。彼らの知識は大学の連中と似たり寄ったりだった。
  保護しようって気持ちがあるだけマシにゃ。
  ミケ、動物を飼うってのは気持ちだけじゃ駄目なんだよ。
 牧場の人達はニムを一匹で小屋に入れていた。
  え、それ駄目にゃの?
  そうみたい。
 ボブは群で暮らすチンパンジーを孤独にさせておくのは拷問のようなものだと抗議したが、牧場側は取り合わなかった。動物愛護の精神は立派だけど、人の意見に耳を貸さないところを見ると頑なで独善的な人達だったのかもしれないね。
 経営者が代わり、ようやくボブの主張が受け入れられた。折よく研究所も閉鎖され、ニムの小屋に数匹のチンパンジーが送られた。
 ニムは2000年、心臓発作で息を引き取った。26歳だった。
  う~ん、ベストとはいえにゃいけど、研究所よりはマシだったのかにゃあ……。
  実験動物にされないって点ではマシだけど、満たされた環境だったかは疑問ね。人間の無知と傲慢に振り回されたニムは悲劇の主人公であることは間違いない。ただ、世の中にはニムよりももっと悲惨な動物達がたくさんいて、それらを救おうと思ったら動物実験は一切できなくなる。
  完全にゃ志願制を確立できたとしてもいきにゃり人体実験は問題だよにゃあ。
  理解も愛情も得られたとしても最後は殺され、解体されて食卓に並ぶ運命の家畜がニムより幸せかというとウチはそうは思えないし、じゃあ不幸せなのかというとそれも違うような気がする。情けないけどわかりませんとしかいえないのよ。
  もやもやするにゃあ。
  そうね。突きつめればニムだけの問題じゃない。人と動物の関わりを見直さざるをえない。下手したらウチらの首をしめることにもなりかねないのよ。
  にゃー、もー、どうしたらいいのかわからにゃくにゃってきたにゃー!
  ウチだってそうよ。結局のところ、答えなんかなくて、今、ウチらにできるのは目をそらさないことぐらいじゃないのかな?
 「プロジェクト・ニム」は単純な知的好奇心を満たすだけでなく、根源的な問題まで目を向けさせる名作ドキュメンタリーよ。
 映画祭での公開を機に全国公開、それが無理ならDVD化ぐらいはしてほしいな。


  観た映画の話は一通りしたし、そろそろまとめに入るにゃ。
  そうね。個々の作品に対してはきつい事をいっちゃったけど、東京国際映画祭がなければ観る事自体できなかった。だから今後も東京国際映画祭は続いてほしい。
  そういえば去年から六本木と日比谷の二か所で開催ににゃったにゃ。
  一日一本とかならそれでもいいんでしょうけどね、ウチみたいにハシゴする場合は……無駄な移動を強いられているんだ!(集中線)
  小夜ちゃん、文だけじゃそのネタは弱いにゃ。
  ウチってほんと、バカ。
  どっちももう遅いにゃ!
 あーっ、もう、新年一回目にゃのに年末みたいにゃ終り方ににゃっちゃったにゃ~!
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テーマ : 映画
ジャンル : 映画

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No title

こちらも挨拶が遅くなってしまってすみません。
本年も一年よろしくお願いします。

自分は見てない作品ばかりなので、少しだけ。

「ティラノサウルス」の題名、好意的に解釈するならば、すぐ凶暴になりその結果破滅する主人公の性格を、絶滅した凶暴肉食竜になぞらえたということなのでしょうが、結果的にタイトルと中身が乖離しているというのには全く同意です。ただ、こういう感情のコントロールが不得手で、しでかした後になって後悔しても繰り返す人って、わりといると思うんですよね…それを論じるとどうしてもメンタルヘルス系の微妙な話題になってしまうので、ここでは深くは述べませんが、そういう人の姿を描こうとしたという意気は買いたいかも。

「TATSUMI」、おっしゃるように、手塚治虫は"Dr."のほうがしっくりきますね。ただ、海外だと手塚先生の経歴はそれほど知られていない気がするので、説明抜きだと"Mr."の肩書きを使わざるを得なかったというのも理解できます。
 劇画史という点では物足りなかったようですが、それでもこういう隠れた先達を発掘してくれたのはありがたいと思います。どこか権利買って日本版DVD出してくれること激しく希望。この映画に触発された同名の短編集が出版されているので、商売の目はあると思うのですが。

「プロジェクト・ニム」、話を聞くと、動物と人間の関わりの負の面をこれでもかと突きつけられる映画のようですね。調べると、やはり欧米でもかなりの高評価で、アカデミー賞ドキュメンタリー長編賞候補にもノミネートされたそうですから、その結果しだいでは日本でも上映される可能性があると思えます。

Re: No title

> 自分は見てない作品ばかりなので、少しだけ。
> 「TATSUMI」、おっしゃるように、手塚治虫は"Dr."のほうがしっくりきますね。ただ、海外だと手塚先生の経歴はそれほど知られていない気がするので、説明抜きだと"Mr."の肩書きを使わざるを得なかったというのも理解できます。
 Dr.というのはいい訳かもしれませんね。実際、手塚治虫は医師免許を持っていましたし。ただ、それはそれで外国人には誤解されかねませんが。
>  劇画史という点では物足りなかったようですが、それでもこういう隠れた先達を発掘してくれたのはありがたいと思います。どこか権利買って日本版DVD出してくれること激しく希望。この映画に触発された同名の短編集が出版されているので、商売の目はあると思うのですが。
 CATV等にリクエストを送ってみるのもいいかもしれませんね。
> 「プロジェクト・ニム」、話を聞くと、動物と人間の関わりの負の面をこれでもかと突きつけられる映画のようですね。調べると、やはり欧米でもかなりの高評価で、アカデミー賞ドキュメンタリー長編賞候補にもノミネートされたそうですから、その結果しだいでは日本でも上映される可能性があると思えます。
 海外のドキュメンタリー映画の日本公開はまだまだハードルが高くて、それこそアカデミーの威光でも借りなければ難しいのです。上映が決まったとしても単館上映ぐらいの規模で、地方の人にとっては観る機会はかなり少ないといっていいでしょう。むしろレンタルやCATV等での放送の方が地方の方にとっては敷居が低いかもしれません。
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